■ 浅間神社 七不思議 ■

浅間神社 縁起

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1. あさまやま

徳川家光の浅間神社造営のため集まった職人が、静岡の伝統工芸の始まりといわれています。
家光といえば、1600年代の将軍です。そのころの職人さんが、はたして気候がいいからといって、現代まで代々住んでいたのでしょうか? 日光東照宮など公共工事は、あちこちであったはずですよね。

この疑問はさておき、「おせんげんさん」ですが、「浅間神社」の他に「神部神社」「大歳御祖神社」など全部で、7社入っています。

このうちの「浅間神社」についてお話しします。
「せんげん」と読むと思ったら「あさま」と読むんだそうです。
「あさまやま」というと、もちろん軽井沢の近くの火山を思い出しますよね。字も確かに浅間山と書きます。どうやら、昔は火を噴く神聖な山を「あさまやま」と言ったそうです。

ところで、パソコンで打っているとおもしろいことに気が付きました。
あさまやまって、「 asamayama 」という風に全部 「 a 」 の段なんですね。50音順表でもアルファベットでもなぜか「 あ a 」が一番です。何か意味があるのかもしれませんね。



2. 木花開耶姫(このはなさくやひめ)

浅間神社のご祭神といえば、もちろん「木花開耶姫」ですね。
先日は、富士山にサクヤヒメが現れたと新聞に載っていました。静岡側からは、雪の模様が、サクヤヒメの形に見えるようです。
今回は、知っていそうで知らなかった、サクヤヒメの伝説についてです。

コノハナサクヤヒメは、コノハナノサクヤビメとも呼ばれるそうです。
オオヤマツミノカミ(大山祇神)の娘で、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の妻。

ニニギノミコトとは、アマテラスオオミカミの孫で、アマテラスから三種の神器を譲られて、高天原から筑紫(古代九州)の高千穂の峰に天くだった神様です。
ニニギはこの天孫降臨ののち、笠沙の御崎(かささのみさき:現在の鹿児島県野間半島)でコノハナサクヤヒメと出会います。
そして、彼女の美しさに心をうばわれたニニギは、サクヤヒメに求婚します。
父、オオヤマツミノカミは、サクヤヒメとともにその姉のイワナガヒメ(磐長姫)もさしだしましたが、姉の方は醜かったので帰されてしまいます。父はこれを恥じてニニギを呪いました。ちょっと怖い話ですね。

さて、ニニギと結婚したサクヤヒメは一晩で妊娠したために、夫から疑いをかけられます。この疑いを解くために彼女は、「火中でも無事に生まれれば、あなたの子であることが証明されるでしょう」と言って、みずから産屋に火をはなちます。
そこで生まれた子供のうちホデリノミコト(火照命)は海幸彦、ホオリノミコト(火遠理命)は山幸彦になったそうです。

また、1988/国語大辞典(新装版)小学館 によると、
「火酢芹命(ほのすせりのみこと)、火明命(ほのあかりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生む。」となっています。子どもの名前がちがいますが、いろいろ火の神様を生んだんですね。行き先をたどると、どこかの火山に行き着くのかもしれません。

また、富士市には「かぐや姫」の伝説も残っていますので、かぐや姫とサクヤヒメは同じという乱暴な説もありますが、この日本神話を読むと別人のようですね。 

(参考:Microsoft(R) Encarta(R) )


3. 富士山本宮浅間大社

静岡浅間神社は、正式には「冨士新宮 浅間神社」と言います。
さて、本宮は、ご存じのように富士宮市にあります。

数年前初詣に行って来ましたが、静岡の浅間神社とは比べようがないくらい大きかったです。富士山を背後にしていて、昔は冨士登山の時には必ずお参りしたそうです。
奥宮は、富士山の8合目以上で、120万坪以上になります。富士山に登られた方はご存じだと思いますが、富士宮口から登ったところに石鳥居があります。日本で一番高い神社ですね。

さて、浅間大社は、富士山本宮浅間大社 ホームページによると、第7代孝霊天皇の時代というから神話の時代ですね。富士山が噴火し、人々は驚き国中が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇は浅間大神を祭り、山霊を鎮められ、これが浅間大社の始まりだそうです。

また、第12代景行天皇の時代、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国征伐のおり、駿河国(静岡県)にて敵の火攻めにあったとき、富士浅間大神に祈り、成敗しました。

その後、平安時代のはじめ、大同元年(806年)、第51代平城天皇は、征夷大将軍、坂上田村麻呂に勅命を奉じて、現在の場所に壮大な社殿を作り、山宮(現山宮浅間神社)より遷座し奉斎されたものと伝えられています。  

今の社殿は慶長9年(1604年)、征夷大将軍になったばかりの徳川家康が造営したもので、本殿・拝殿・舞殿・楼門等壮観を極めたものでしたが、寛永安政等の大地震で破壊したものもあり、当時の建物の現存するのは本殿・拝殿・楼門のみです。

(参考:富士山本宮浅間大社 ホームページ



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