■静岡の染め物■

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■静岡の染め物 第一回■
静岡には、たくさんの染め物があります。その歴史についてちょっとお話ししましょう。
今でも「麻機」「賎機」「服織」など織物に関係した地名があります 。
約500年前の今川時代(桶狭間では、かっこわるかったのですが、あの有名な今川義元の頃ですね)には、藍の栽培が盛んに行われ 現在町の中心部の紺屋町(西武デパートなどがあります)では、型染め、紋染めが盛んに 行われていました。
江戸時代には、町の西を流れる安部川沿いに多くの紺屋がいたそうです。ということは、今の我が家のあるあたりかしらん?
明治に入り、機械化などで、衰えましたが、大正時代に入り、 地元出身の人間国宝、芹沢けい介さんを中心とした方たちの努力により再び復活しました。

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■第2回 芹沢けい介■

さて、静岡ゆかりの人間国宝芹沢けい介ですが、「けいすけ」の「けい」の字は、本当は金偏に圭と書きます。パソコンには入っていない場合が多いので、ひらがなで書きますね。
芹沢けい介は、1895年5月13日、静岡市に生まれました。1913年東京高等工業に入学、印刷図案を学び、また洋画やバーナードリーチの陶芸にもひかれました。
静岡県工業試験場所や大阪府立商工奨励館などに勤務後、1926年に柳宗悦に出会い、民芸運動に参加しました。
実用的な工芸品に芸術性を求めた型染めや、その技法を生かした民芸雑誌「工芸」の表紙装丁・染色・挿し絵など多方面で活躍し、型染めを創造的な工芸品として、再認識させました。
また、静岡の染め物にも大変な影響を与えました。
1956年人間国宝。84年4月、死去。(...つづく)

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■第3回 民芸運動■

「民芸って、ホントはそんな言葉じゃないんだけどなあ」 
万華鏡を持つ私への大橋さん(染色家)の一言から、人間国宝 芹沢けい介に影響を与えた柳宗悦の民芸運動について調べてみました。

民芸品といいますと、今では観光地のおみやげのような感じになっていますが、民藝(民芸)という言葉が作られたのは1925年(大正14年)です。

柳宗悦たちが、民衆が生活に用いるものに、美しさを見い出し「民衆的工芸」を縮めて民藝と名付けました。当時はちょうど大衆文学や流行歌が普及した大正モダニズムの時代で、民衆的という語彙を用いたのも大正デモクラシーの影響だったようです。

昭和にはいり、新しい美意識を求めるインテリ層に支えられ、民藝運動は日本の美を確認する運動として一気に盛り上がりを見せますが、民藝という思想が世に広まったのはよかったのですが、「民衆的工芸」を目指しながら作られたにも関わらず、次第に民衆の手の届かない高価な工芸品が生まれてきてしまいました。

敗戦になり、暮らしは一挙に現代的になり、手工芸による民衆的工芸は生活習慣の変化に急には対応できず、民藝品は一度人々から忘れられてしまいますが、戦後10年、日本に憧れるアメリカではわび・さび・渋みなど日本独特の美学が理解されるようになり、日本ブームが起こっていました。昭和30年ごろから再び民藝品は注目を浴びます。日本的なものに憧れる風潮が強くなったのです。

ところが、「民藝品の店」と名のって土産品を売る店が観光地に建ち並びました。天然の素材でできているちゃちで古くさいもの、という民藝観はこの頃から出来上がってしまいました。

こうして、世の中で使われている民藝の持つ意味は始め柳宗悦らが意図したものとはかけ離れてしまいました。
大橋さんが嘆くのも無理はありませんね。 (...つづく)

※民芸運動につきましては、「日本民藝館ホームページ」を参考にしました。


■静岡の染め物 第4回 日本民芸館■

前回は、民芸運動につきましてお話ししましたが、今回はその民芸運動に関連のあります日本民芸館についてお話しします。私は、去年の夏行って来ました。

1998年7月27日
日本民芸館催事の搬入のため東京に行ったのですが、前から興味のあった東京駒場の日本民芸館に行って来ました。
入場料は、1000円。ちょっと、高いなと思いつつ重厚な建物に入りました。
民芸品というと私は、工芸品より身近でちょっと安い物ってイメージを持っていました。けん玉とか、水鉄砲などの民芸玩具や和紙などでできたかわいい小物とか。でも違うんですよ。
昭和のはじめ(5,60年前)民芸運動がありました。柳宗悦さんという方が、民衆の工芸の美を発掘しようと言う運動です。
ですから、美術品とは違う実用的な美しさって言うのでしょうかそういう作品が多いんです。残念ながら 竹工芸品はありませんでしたが、藍染め品がありました。
静岡では芹沢けい介さん(人間国宝)が柳さんの同士で有名なんですが 芹沢さんの作品はほんの少しでした。でも、そこにあった染め物は、大橋さんの型染めにそっくりだったんですよ。 で、うれしくて係りの方に聞いてみたら、「江戸時代の物で、筒書き染めですよ」とのこと。
筒書き染めというのは、 ケーキ屋さんがクリームをくるくるってやるでしょう。あんな感じの道具を使って模様を書きます。
大橋さんのは、芹沢さんのと同じ型染めです。型染めは、切り抜いた型の上から糊をおいて模様を出します。
帰ってきてその辺のことを早速大橋さんにきいてみました。
昔は、人件費が安くて型を作るより手描きの法が多かったそうです。それから、模様については、大橋さんの模様は 江戸時代からの伝統的な模様だそうです。納得。
日本民芸館は、とても静かですてきなところでした。あ、若い女性が多かったです。(^^)

場所 〒153-0041 東京都目黒区駒場4-3-33 TEL.03-3467-4527

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■静岡の染め物 第5回 型染めの技法■

静岡の染め物の主流、型染めの技法について紹介します。

型染めは、基本となるデザインの型紙を切り抜いて模様を作るところから始まります。和紙を数枚、柿渋でを張り合わせた紙に、刀で模様を彫り込んで型紙を作ります。
次に餅米を原料に米ぬかと塩、石灰などを加え秘伝の防染糊を作ります。昔から一糊二腕といわれるように糊づくりは職人のもっとも苦心するところでした。
その後、張り板の上に布を張り、型紙を順次送りながら乗せて、へらで糊付けをします。
糊が乾いたところで色差しをして、水洗いして糊を落とします。
多色染めの場合は、数回繰り返します。

大橋さんの所には、たくさんの型紙があり、また新しいデザインの型紙もどんどん作っているそうです。
なお、戦前(大平洋戦争前)までには印物(しるしもの)と言って商店の屋号や家紋を藍で染め抜いた(職人が仕事の時に着る)半纏や暖簾を作る紺屋が静岡市内に何軒もあり、大橋さんもそのうちのひとつだったそうです。


■静岡の染め物 第6回 ろうけつ染め■

人間国宝芹沢けい介氏をはじめ型染め主流の静岡の染め物ですが、ろうけつ染めをしている方が一軒あります。

ろうけつ染めは、ろうをもちいた防染による染色法です。溶かしたろうで模様の部分をふせ、染料にひたして染めたあと、ろうをとりのぞくと、模様が白く染めぬかれます。模様の部分にろうの割れ目による細い亀裂が生まれるのが特徴です。

ろうけつ染めは、古くは臈纈(ろうけち)とよばれ、纐纈(こうけち:絞染)、夾纈(きょうけち:板締め絞り)とならんで、天平時代の三纈(さんけち)のひとつとされ、正倉院宝物にみられます。当時は模様を彫った凸状の型をつかってろうを布につけていたため、模様は比較的小さく、ある程度規則的にならんでいました。しかし型に一度ろうをつけてから、2つ、3つ、と模様をおすため、模様ごとにろうの濃さに変化が生じ、それが面白みとなっているのが特徴です。またこうした反復模様を巧みにもちいて大型の絵模様を構成したのが、正倉院にある「臈纈屏風」てす。
天平時代の臈纈の技術の起源は中国よりつたえられましたが、この屏風は国内産の布地でつくられているところから、すでにこの技術が当時日本に定着していたことがわかります。

(参考資料、Microsoft(R) Encarta(R) 97)


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